仕事も半年を過ぎると頑張った甲斐もあり、当初の手持ち案件も減ってきた。
仕事にも職場の人間関係にも慣れ、段々と早く帰れるようになった。
そうなると週に2、3回は飲みに行くようになった。
メンバーは大概はアジャスターさんと内務課長と僕である。
アジャスターさんの歳は50歳前であったので倍以上離れていたし、課長は定年の数年前だったが、酒が入れば関係なしだ。
最初、アジャスターさんは警戒心バリバリだったが、打ち解けてしまったら、色々な話を聞いてくれたし話してくれた。田舎のコミュニティーでよく聞く人と同じだ。非常に優秀な方で理屈っぽい所があったが、僕はとても好きでいい方だった。
アジャスターさんも課長も酒は滅法強かった。内務課長はあれだけ飲んで検査結果はいつも異常なし。多分、飲み会の時以外は飲んでなかったのだろう。
この頃になると中学生の時に7杯が限度だった生ビールの中ジョッキが普通に飲めた。吐くことがなくなったのである。
耐性ができたのである。
そして、残りの日も夕飯は外食になり、ビールを3杯くらいは飲んで帰った。最初はそれで済んだのだが、夕飯後にビールを家で飲むようになった。
機会飲酒から習慣飲酒へと移行したのはこの頃だろう。
それでも休みの日に酒なしで気分転換をすればよかったのかもしれない。
ここは海もあったし山もあった。
釣りとゴルフが好きな人にはいい所だが、僕はどっちもやらなかったが。
車も持っていたので、いろいろ出かけるのもいいのだろうが、休みの日は遠くに出かける気にならなかった。
仕事の関係でか、事故が怖くて車を遠くまで運転する気がしなかったのである。運転する時はここで事故したら何対何と過失割合が自然と浮かび、かなりの安全運転だった。
給料は実家に仕送りしても、家賃は補助もありの一人暮らしは、お金を使うことがなかった。生活費で残ったお金は本と酒に費やされた。
金曜は飲んで帰り、昼頃に起き、最初にやることはスーパーでビールとステーキ肉か刺身、豆腐、納豆あたりを買う。その間にご飯が炊きあがるので昼食を食べる。
そのあとは掃除をやりながら飲む、本を読みながら飲む、プレイステーションをやりながら飲むだった。
ゲームはずっとコントローラーを操作するものでなく「信長の野望」などのタイムラグがあっても支障のない歴史シュミレーションゲームをやった。
当時出ていた信長の野望はだいたいやり、特に信長の野望、天翔記はお気に入りでほとんどの大名でクリアした。
酒が切れては買いに行く。
しかし、土日は何故か日が暮れると飲みたくなくなった。
単に疲れて飲みたくなくなっただけかもしれない。
土曜日は気分最高だが、日曜日の夕方になると憂鬱になる。
大きな事故が起こっていないことを祈った。それは人の幸せを願ってではなく、あくまでも自分の為だけの祈りだった。
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